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あしあと

    あれから30年―善聞語録179(広報1月号掲載)

    今年もまた1月17日の朝を迎える。1995年の大震災当時は前職の大阪勤務で、住まいは西宮市夙(しゅく)川。ただしこの日は前日から九州出張に出かけていて、自身は直接の揺れを経験していない。急遽(きょ)予定を変更し帰路を急いだ。幸い朝一番の便は飛んでいて伊丹までは戻れたものの、空港は大混乱。自宅までの道中も、横倒しになった阪神高速の橋脚や形を無くした家屋を横目にまさに「ゴー&バック」の繰り返しであったが、それでも勇敢なタクシー運転手に恵まれ4時間かけて西宮北口に辿り着いた。

    家族の声は九州からほんの瞬間だけ繋(つな)がった携帯電話で確認していたが、元気な姿を目にした時の安堵(あんど)を忘れることができない。しかし家の中は家具が倒れ、割れた食器が散乱しており、子ども部屋のベッドの上には本棚が倒れている始末。虫の知らせか子どもたちは私が出張中のため親の寝室に移って寝ていたとのことで難を逃れたが、そうでなければ…と考えると身震いする思いだった。

    時の経過とともに甚大な被害状況、そして近隣の親しかった人や取引先等の不幸が判明し涙した。震災直後、家族は東京に一時避難したが、学校が始まると呼び戻したものの、復旧していたのはかろうじて電気だけ。水は週末に綾部から運び、電気ポットで沸かした湯で体を拭き、カセットコンロで煮炊きした。連日キャンプのような生活は今となっては懐かしくもあるが、水やガス等のライフラインが復旧するまでの2カ月は本当に大変だったことを鑑みるに、今回の能登の復旧の遅れが懸念される。

    あれから30年。今も震災直後の被災地の光景は脳裏に焼き付いている。また未曽有の困苦を共にした職場の同僚はまさに❝戦友❞として生涯の付き合いと思っている。それでも少しずつではあるが人の記憶は薄れていくものだ。残しておきたい記憶も、残したくない記憶も、風化には抗(あらが)えないのか…。

    山崎善也


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