左豪の絵師・長谷川素后(はせがわそこう)
1792年生まれ。
幕末、綾部広小路の浄光寺門前に住いした絵師。
「左豪素后」の愛称を持つ絵師として人々から崇敬され、多くの秀作を残した。浄光寺境内には素后の功績を讃える石碑が今も建っている。
素后は、若い頃に京都へ出て円山派のもとで本格的に絵の修業を始める。絵の師は応門十哲のひとり山口素絢で、素后は円山応挙の孫弟子にあたる。こうして当時の一流画壇で修業したのち、帰綾して円山派の絵師として活躍を始めたが、54歳の時筆を取る肝心の右腕が麻痺してしまい、絵師としての危機に陥る。
しかし、ここで絵筆を左手に持ち変えて再び描き始めたところ、画風ますます上り多くの秀作が生まれた。そこで世の人々は彼のことを「左豪素后」と呼んで敬愛し、その名声は遠くの地にまで及んだという。
豪放磊落(ごうほうらいらく)で超俗的な性格であったらしく、円山の確かな技巧と写実と相まって、素后の絵には独特の趣が感じられる作品が多い。
1865年没。
素后画「小児遊図」(資料館蔵広小路羽室家コレクション)
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